『 Words Came Back To Me 』 Sonya Kitchell 0:43:18

0:43:18 Usen C50 2005年08月29日3枚目 『 Words Came Back To Me 』
1 Train(04分13秒)
2 Let Me Go(03分34秒)
3 Simply Melody(03分26秒)
4 Can't Get You Out Of My Mind(04分07秒)
5 No Matter What(03分59秒)
6 Cold Day(03分09秒)
7 Clara(04分39秒)
8 Think Of You(04分07秒)
9 Tinted Glass(04分16秒)
10 I'd Love You(04分00秒)
11 Jerry(03分48秒)


ジャンル:   ロック
フォーマット:   CD
組み枚数:   1
発売日:   2005年08月30日
カタログNo:   VELOUR0501
レーベル:   Velour Recordings
発売国:   USA

若干16歳にしてこの脅威の才能!
ソウライヴやカーキ・キングなどを送り出す<ヴェロアー>からデビューを果たしたソーニャ・キッチェルのデビュー・アルバム。ジャズ、ポップス、R&Bなどの要素を絡ませたフォーキーな上質SSWアルバム。

16歳の時、あなたは何をしていただろう。我々のほとんどの場合、その10代は探求と実験、そして不安の深い霧の中で費やされたにちがいない。そんな早い時期に自らの才能について満足に認識できるほど、十分に安定し、成熟していたものは数少ないだろう。ソーニャ・キッチェルはまれな例外である――たった16歳にして彼女は文字通りにも、比喩的な意味においても、まぎれもない自らの声を見つけたのだ。

その声の持つ、まぎれもない温かみと健全さは彼女のデビュー・アルバム『キャント・ゲット・ユー・アウト・オブ・マイ・マインド』(プロデュースはショーン・コルヴィンやスザンヌ・ヴェガを手がけるスティーヴ・アダボ)にパーフェクトに表現されている。人々は多くの偉大なシンガーのきっかけを感じ取るだろう、ジョニ・ミッチェルの風通しの良いリリシズム、エラ・フィッツジェラルドのフレージング、そしてノラ・ジョーンズやナタリー・マーチャントの煙るようなロマンティシズム――しかしそれらのサウンドはキッチェル自身のものだ。それは簡素でありながら誠実であり、心をふるわせる。

キッチェルのヴォーカルの温かみ以上に人々を驚かすのは彼女がその年齢にもかかわらず、偉大なシンガー・ソングライターであることだろう。アルバム『キャント・ゲット・ユー・アウト・オブ・マイ・マインド』に収められた曲は全て彼女のオリジナルである。今日までに彼女は100曲以上を書いており、彼女が12歳で作曲を始めたことを考えると、その驚くべき偉業はたった4年間で成し遂げられたのだ。摸倣ではないのと同時に、彼女の作品はジャズからフォーク・ロック、R&B、そしてポップスまでを開拓した。あなたがそれを聴いたなら、キャロル・キングやヴァン・モリソン、そしてバート・バカラックまで(特に「Tinted Glass」に)にいたる巨人達の影を感じるだろう。しかし彼女は彼女の人生の経験を非常に個性的な何かを創造するために注いでいるのだ。例えば「Clara」はイザベル・アレンデの著作『House Of Spirits』からインスパイアーされたものだし、「Someday」は浪費に対してキッチェルが異議を唱えた内容だ。

キッチェルと弟は西マサチューセッツの田園地帯にある40エーカーの土地で育ち、今もそこに住んでいる。そこでは勢いよく植林された夏の風景が晩秋に急速に冷たく荒涼となる。自然は詩的霊感とインスピレーションの源となるが、両親を見て育ったという彼女の度胸の芯がアーティストとして成功するキャリアを切り開いた。彼女の父親は抽象画ポスターの第一人者であり、彼女の母親はグラフィック・デザイナーである。ふたりから若きキッチェルは写真や旅行、そして何よりも音楽への愛情を受け継いだ。彼等は傾倒と忍耐をもってすればいかなることも可能となるという知識を覚えこませると同時に、知らず知らずのうちに不安定な経済的成功がアーティストに何を及ぼすかを示したのだ。

キッチェルは幼少のうちから母方の祖父から譲り受けたピアノ(それはクラシックのピアニストであり、ヴェトナム戦争の通信員でもあった母方の祖父が香港で買いもとめ、長い旅路を経て彼女の家にたどり着いた)をいじくりまわすことによってミュージシャンとして早いスタートをきった。彼女は8歳という感受性の鋭い年齢で、彼女の父親の義母のピアノ・リサイタルの中で歌う、という初めてのパフォーマンスを経験している。もちろん彼女の才能は生まれついてのものだが、彼女はミュージシャンとして成長するため常に努力をおこたらなかった。10歳の時彼女はジャズ・シンガーであるシーラ・ジョーダンとレベッカ・パリスによるヴォーカル・レッスンを受け始め、11歳の時には楽理の勉強も始めた。1999年に北カリフォルニアで行なわれたスペシャル・オリンピックで彼女は最初の大きなステージを経験した。もっと最近では彼女の作曲した「Romance」という曲が2003年のダウンビート・スチューデント・ミュージック・アワーズの“ジャズ・ヴォーカル”と“ベスト・オリジナル・ソング”部門で受賞した。加えて彼女はケネディ・センターにある、ベニー・カーター・ジャズ・アヘッド・プログラムにおいて、世界中の30歳以下の作曲家の中からわずか40人しか選ばれないというジャズ作曲の週間プログラムにも選ばれている。

2004年は若きソーニャ・キッチェルにとって極めて重要な一年であった。先行EP『コールド・デイ』のリリースはもちろん、彼女は自身のバンド(すでに3年共に活動している)と共に、タジ・マハール、タック&パティ、ショーン・コルヴィンといった世界的アーティストとの共演を果たした。彼女の才芸はその年齢にしては数多いにもかかわらず、もしあなたがキッチェルに質問したとしても、彼女が自身の年齢について口を開くのは一番最後だ。彼女にとってのゴールは全ての世代の、全ての世代のための、たぐいまれなヴォーカリスト、ソングライター、そして楽器奏者になることなのだ。